医院に行って説明をしてもらって同意をした上で治療をしてもらうということを、インフォームドコンセントといいます。
一見当たり前のことのようなのですが、意外と行われていないのではないでしょうか。
医療は本来権威あるものでした。悪いようにはしないから、俺に任せておけ、というものでした。
これを父権性、パターナリズムと呼びます。
一種呪術 のようなもので完全な信頼が医者にないと、成り立ちません。
医療は精神的な要素が大きい面もあるので、信じきることによって、症状が緩和されることもあるのです。 信じるものは救われるといった、宗教的な要素とでもいえるかもしれません。
このような流れの変化のきっかけは、ナチスの人体実験に対する戦後の批判からです。
あらゆる権力の元で強制的に同意を得ずに行われることは全て批判の対象となりました。
さらにベトナム戦争に対する国家に対する不信がアメリカで広まりました。 国から正義だと言われて戦った戦争で家族を失った人々の嘆きが集まって、さまざまな方向へ運動は広がりました。
ウーマンリブといった権利の主張や、買ったものの中身の説明を問う消費者運動といったものです。
つまり、消費者運動の延長線上に医療のインフォームドコンセントが来ているということです。
その意味では確かに診療に対して患者さんはお金を支払うのですから、消費なのかもしれませんね。
いずれにしても今受ける医療の中身を教えてもらい、納得の上で受診するということはよいことです。
俺に任せておけ、という医療から、坊やどうしたの?どこが痛いの?と聞いてくれる母親の役目を求められるようになったのです。 これをマターナリズムといいます。
話を聞いているととてもよいことなのですが、実際には言葉一つ取っても専門家の使う言葉の定義を知ることは困難です。 それがあまりに多いと説明さえ難しくなることは事実です。
意思の疎通が難しいのは専門的な知識に大きな差があるからです。 正しく伝えているつもりが誤って伝わっていることさえありそうです。 それを情報の非対称性といいます。
実際、緊急時に詳しく理解できるまで話をしていると、手遅れになることだってありそうです。 現実は難しいものです。
しかし、時間的余裕のある時は、できるだけ話をすることは、患者さんの現状を把握するためにも必要ですね。
病気は医師にとってyour disease〔患者さんの病気〕ではなくて、our disease〔患者さんと医師の病気〕として捉えないといけません。
医療は患者さんと医師の共同作業として、共に力を出し尽くして、協力し合って立ち向かわないと、解決しません。
患者さんがまず何をして欲しいのかを把握し、その望みを実現できる手段をプレゼンテーションして、患者さんに選択肢のメニューを選んでもらい、よい面も悪い面も納得した上で治療にかかれば、お互いにゴールまで頑張ることができると思います。
なんでも隠さずストレートに話し合って、お互いを理解しあう医療を作り上げましょう。
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